2017.11.3
義父 急逝
十月三十日の午前三時半くらい、ヨメが息子がぐずっているのをあやしていたところ、義父の急逝を知らせる一本の電話。半分寝ていた僕も、ただらぬ雰囲気に目を覚まし、信じられない現実を知り、崩れ落ちました。
気持ちは急くものの、金沢に着いたのがお昼前。お義父さんは伝えられた通り、息を引き取っていました。
全身病気持ちだったとは言え、早すぎる最期でした。十月の初めに金沢に帰った際も、以前より調子がいいと聞いていて、実際元気そう。息子のタイチも進んで抱っこしてくれていたのでホッとしていたところ。その時に撮った写真が遺影になるなんて。
式などの段取りはあいねー(長女)夫婦がやってくれたので、実質何もしてないですが、こんなにも早く両親を送る側になるとは夢にも思いませんでした。
Apple Watchなどを使えば、義父の体調の異常に気づけたんじゃないか、できることがあったんじゃないかという後悔もあります。ただ、そこまで深刻な状態とは誰も思っていなかったので…。悲しく、寂しいの一言に尽きます。
三姉妹とその家族、親戚のみなさん、そしてお義母さん、みんなわずかな時間の中でできることを頑張り、式も無事に終え、お義父さんを送り出すことができました。
まだ小さいお義父さんの孫たちがワイワイ騒ぐので、悲しんでいても、次の瞬間には笑っていて、終始和やかな雰囲気。子どもは本当に宝で、希望だなぁ。
通夜の朝、朝ごはんの準備をしていたお義母さんとヨメが「お父さんはインスタントコーヒーの開け口をいつもキレイに切っていた」と話していました。これからしばらくは、日常の節々で、お義父さんを思い出し、懐かしむのかもしれません。本当に寂しい。
お義父さんと毎日二回散歩していた峰っち。お義父さんがもう帰ってこないことに気づいているのかなぁ。
僕は金沢に行くたびに、家に泊めてもらい、車のないときは送ってもらったり、迎えに来てもらったり、美術館に連れて行ってもらったり。すごくお義父さんにお世話になってきました。
妙成寺や千里浜にも連れてってもらったし、ヨメがいない時にも、一緒に梅佳代の展覧会を見に行ったり、白洲次郎の展示も連れてってもらったなぁ。今思うと、結婚する前のことだしムチャクチャですが。
いつも優しいお義父さん。孫にはさらに優しくて、子どもをあやすのがすごくうまかった。
四十九日まではもう少し思い出に浸ろうかなぁと思っています。次行ったときはお義父さんの焼酎で献杯したいと思います。
お義父さん、ありがとう。